何のために学ぶのか

何のために学校があるのか。一般には学校は社会に出て必要とされる力を養う場であると言う人が多いだろう。各教科や行事などを通して集団生活を学ぶことも一つの目的だろう。

なぜ古典を学ぶのか、なぜ二次関数を学ぶのか。なかなか説明することは先生でも難しいのではないだろうか。特に漢文などは、社会に出てから触れることはほとんどない。返点のついた文章など、教科書以外で見たことはない。中国の歴史や文化を学ぶためだとか、様々な文書に慣れ親しむためだとか、色々理由づけされるが、正直苦しい。

勉強は、学んだ知識も大切だが、その知識をどのようにして身につけたかが大切だ。音読を繰り返ししたのか、紙に書いたのか、テストを繰り返して覚えたのか。その結果よりも過程が大切であり、物事をインプットするために、どんな工夫をすれば、知識として身につくのかを学ぶ場なのだ。

この知識の定着のさせ方を身につけた人は、社会に出てからも、分野が変わっても勉強でき、その知識を容易に身につけることができるようになる。

知識は知恵になり、その知恵ほ最適な行動を選択できるようになる。その土台となる知識の定着のさせ方こそが、学校教育で身につけさせたい力ではないのだろうか。