合理的な判断と情

先日、大学時代に苦楽を共にした友人と話をしていた。その中で、大学時代に同じ塾で塾講師のアルバイトをしていたときの話になった。2人の本部長の元で仕事をすることができたことが今でも大きな財産となっている。

最初の本部長は、情で動く人であり、コミュニケーションを大切にしていた。できたことは大袈裟に褒めてくれ、ダメなことは徹底的に怒ってくれた。講師や生徒に対するもてなしがすごかった。自腹でレストランを貸し切ったり、ホールを貸し切ったりして、ギブの精神がとても大きな人だった。しかし、人による差別が大きく、お気に入りには特別扱いをして、嫌われるとあたりが強くて大変だった。

次の本部長は、合理的に物事を判断する人で、講師の好き嫌いではなく、講師の能力に応じてクラスが割り当てられた。また、講師の適性をよく見て、担当教科、クラスが決まるため、組織としてあまり不満は出ずに、うまく回っていった。しかし、以前のような本部長のサービスはなくなり、物足りなさを感じる講師も少なからずいた。

どちらの本部長もそれぞれの良さがある。組織の安定や成長を考えるなら、後の本部長だが、人との付き合いや、刺激を求めるなら、最初の本部長だ。どちらを好むかは、人によるだろう。

彼らから学べることとして、いいとこ取りできれば、理想の上司になれるのではないかと考えることができる。組織の維持、成長のために合理的に物事を判断し、周りの部下に適度にギブしていく。できることからやっていきたい。