人と感覚の違い

先日、会議の場において、自分自身、そして周りの同僚の仕事の負担が増えることについて、意見した。仕事の負担が増えることで普段のパフィーマンスが下がってしまう。結局、その対策が誰のためのものなのか聞いたが、納得できる回答は得られなかった。

管理職が考え、それを部下に作らせ提案させる。とても汚いやり方をする。管理職自らそれを提案するわけではないので、直接的な批判は浴びにくくなる。そんな上司にはなりたくないと感じた。

私が会議で意見しても、誰も賛同する人が現れず、その発言は流される形となった。他の同僚も同じように感じている人は必ずいたはずだ。しかし、周りに気を使って発言しなかったのだろう。また、自分の伝える力が弱かったことも問題だ。もっとわかりやすく、同僚の心に響く言い方ができないとなかなかまわりを動かすことは難しいと感じた。

中には、私の言っていることが理解できなかった人もいるだろう。立場や考え方が異なり、ただこの人はサボりたいだけなのだろうと感じた人もいるだろう。

私は、あとから後悔したくないと日々思って生きている。会議で決まったことを実行に移せば、どこかで必ず愚痴をこぼしたり、それが負担になることが容易に想像できる。「後から文句を言うなら、今言っとけ。ぐちぐち言うな」と感じる。

人の感じ方はそれぞれだ。全員が納得できないこともあるだろう。しかし、発信し続けることが大切だと改めて感じた。