Fラン大学の価値

競争がなされずに入学できる大学をFラン大学と呼ぶという。人気の大学は偏差値が高い傾向にあり、入学は難しいが、Fラン大学の入学は比較的簡単だ。最近は、国が奨学金の制度を充実させたことなどにより、十分な学力がなくても大学へ進学する学生が増えている。

そんなFラン大学は必要ないのではないかという意見がある。まず、学力が低い。大学に入学したら、英語や数学は中学、高校の復習から入る大学が多数あるという。これは、生徒の実態に合わせて大学側が授業を考えている。大学側も、もっとレベルの高いことをやりたいだろうが学生の質を知り、受け入れざるを得ない。

学力が低いだけならまだ良い。講義の時間にスマホをいじっていたり、ゲームを持ち込んだり、カップラーメンを食べる学生までいるという。大学を学ぶ場ではなく、遊ぶ場、自由な場と勘違いしている者もいる。

そういった学生を増殖させてはならないという考えから、Fラン大学を排除しようと考える人もいる。そのような大学は学生のためにならない。一方で、Fラン大学をモラトリアムの場として肯定的に捉える人もいる。人生長いのだから、自分のやりたいことを考える場があってもいいのではないかと。

自由な場があって、ダラダラと生活する時期があってもいい。でもそこには大学の学費がかかっている。大学にかけた学費以上の経験ができるような生活を送ることができれば、Fラン大学の価値は十分にあるのではないだろうか。